yayaの心の部屋

楽しいことや思いを書いてます。

私の恐れていたこと

思い起こせば、ずっと何かを恐れていた気がする。

小さな頃はそれが何なのか、解らなかった。

 

学生の頃は、友達と言う存在が私の心を、少しだけ受け止めてくれた。

 

社会人になって、いろんな人と関わって、いろんな人生を見聞きして、人と言うのは皆何かを抱えているものだと理解した。

 

それまでの私は、自分の人生を呪い、どうして私の人生はこんなに運が悪いのか?って、どこかひねくれていた。

 

でもある時、生きることに行き詰まって絶望していたら、大きな出逢いがあった、私はその出逢いで助けられ、心が癒された・・・。

 

それからも、いろんなことがあったけれど、私の心は少しだけ強くなった気がする。

 

勿論、今も完全ではないのだけど・・・。

ただ冷静に、自分の心の奥底に眠って、時々顔を覗かせる闇のようなものが何なのかを、考えられるようにはなった。

 

それは、喪失感、小さな頃に母を失い、多感な頃に父を失い・・・。

 

いや、母のお腹の中に居た時から、親と離れる運命を感じていたのかも知れない。

 

幸い、養父母は子煩悩な人達だったが、幼い頃に養母が亡くなり、多感な頃に養父も亡くなった。

 

だから、私の心は大切な人を亡くすことを恐れていた。

そしてたどり着いた思いは、恐れは執着からくるのではないだろうか?と言うこと。

 

私は失ったものの大きさを、無意識の内に取り戻そうとして、何かを握りしめていたのじゃないだろうか?

それが私の心の奥底に執着としてしまわれていたのかも知れない。

そして、その執着故に度々自分でも苦しむことになるのだけれど、つい最近までそんな自分の状態が解らずにいた。

 

それが理解出来たのは、ある人からの助言があったからなのだけど・・・。

 

今はこう思う、この世の全てはやがて消えて無くなるもの。

だからこそ、尊く素晴らしいのだけど、その全てを失うまいとしたところで、それは不可能。

勿論、人の命も同じ。

やがてこの世から消えて亡くなる(だからと言って、軽く見てはいけないが、命には代わりはないのだから。何ものをもってしても代えることは不可能なのだから。)

 

でも、死は避けられない現実であることも確かなこと。

 

今は恐れではなく、その後をどう生きるのが自分にとって一番良い生き方なのか?模索中

 

そう言う意味では乗り越えているのかな?

例え乗り越えていなかったとしても、私は前進するだろう、命は儚い、でも命は力強い、

私は命の塊❗

 

だから、どんな痛みも哀しみも絶望も、乗り越えて生きるだろう。

 

明日に向かって❗